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古きを知り、新しきを知る。

 

開湯1900年を誇る、この蔵王温泉。

 

ルーツを知れば、今の蔵王も楽しめる。

 

それでは、蔵王温泉はどのように誕生したのでしょうか。

 


 

蔵王温泉の神話と伝説

 

 

蔵王温泉は古くは「最上高湯」と呼ばれ、その発祥は1900年前の十二代景行天皇の時代、

皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が「吉備多賀由(きびのたかゆ)」という随臣を従えて

東国の制圧に赴いた際、現在の蔵王温泉がある場所に差しかかると、多賀由は敵の矢を受け、

「瀧山(りゅうざん)」の山頂に逃れました。

そこから東側のふもとを見下ろすと、岩場にわき出る豊かな湯を発見し、早速山を下り

体を湯に浸すと癒されて、傷が早く治りました。

以来、薬湯として尊ばれ、吉備一族の誉れ高い武将の「多賀由」の名にあやかり

「高湯」の二文字に変え、温泉の地名に反映させたと言い伝えられています。  

 

 

 

霊峰「蔵王」の誕生

 

 

後の鎌倉期以降、和歌山県の熊野三山を本拠地とする「熊野信仰」は全国的に布教され

隆盛を極めましたが、時に蔵王はまだ「不忘山(わすれずのやま)」と呼ばれており、

熊野派の修行僧たちは噴火で形成された最も高い荘厳な峰を「熊野岳」と命名しました。

 

 

 

そして、山岳修験の祖とする役小角(えんのおづぬ)が霊感で創造したとされる

修験者の護身仏「蔵王権現」を祀り、さらに行者たちは、神や仏の姿が火口(御釜)の

清らかな水面に映ることを念じて修業したことから霊峰「蔵王」の山名が誕生したと伝えています。  

 

 

蔵王温泉の危機と発展

 

  江戸時代半ばの1716年(享保元年)、時に幕府は財政再建と支配体制の再編を行った

いわゆる「享保の改革」の最中、山形の藩主は堀田正虎でした。

その改革の波は地方にも及び、享保十年の「高湯村覚書」という文書には

「当時、高湯村に湯宿が十七軒あり、緊縮政治下で経営が振るわず、村は正徳期に続いて

二度目の大火に遭い貧窮に陥りました。

だが、正虎の施策でどうにか立ち直ることが出来た」と記されています。正虎の養子、正亮が

官職名を「相模守」と名乗り、山形藩主についた頃、豊富ないで湯の高湯村に注目した正亮は、

経済の活性化を図り、高湯を含むふもとの南山形一帯に、自分の堀田の姓を与えて「堀田村」と命名。

以後、高湯村は「堀田村高湯」と改称され、今日の一大観光地に発展する礎になりました。  

 


 

いかがでしたでしょうか。
蔵王温泉は昔は「最上高湯」呼ばれており、蔵王温泉の名がつくまでは長い年月が経っているのですね。
蔵王のルーツは奥が深くこのお話しはほんの一部にすぎません。
また、次回にお話しできればと思っております。蔵王温泉 温故知新ばなし その弐をご期待ください。